3月24日の日記

2008年3月24日 日常
とつぜんにぽろぽろとなみだがあふれでてきて。
ああ、といきをはいて、それからわたしはへやをでた。
ながれるなみだのりゆうはしらない。
わたしがしらないということは、ほかのひとにきいてもわからないということで。
きっとなにかがわたしにそれをしらせないようにしているのだろう。
ならばむりにしるひつようはないはず。
あるいているあいだにも、ぽろぽろとなみだはこぼれる。
ほおをつたい、あごをつたい、ぽたんとくびもとにおちた。
ふくがぬれてつめたい。
しかしそれもあそこへとたどりつくまでのしんぼう。
ろうかをあるいているあいだにすれちがったひとがわたしをみてすこしおどろいていた。
わたしのすがたがめずらしいのかないているのがめずらしいのか。
そんなことはどうでもいい。そんなことは、どうでも。

ばたんととびらをあけて、わたしはれいはいどうにたどりついた。
あるいているあいだになみだはすっかりかわいてしまうとおもっていたのに。
いまだぽろぽろとながれつづけるしずく。
わたしはどうしようというきもなくそこにいるはずのひとかげをさがした。

「どうなされたのですか」

さがすまでもなくめあてのそのひとはわたしのまえにあらわれた。
そしてしゃがんでわたしのめせんにあわせるとわたしのほおをそっとなでた。
そのてはかさかさしていて、けれどやさしいあたたかさをもっている。

「ないているのね」

わたしはうなづいた。
そのめのたままでとけてしまいそう、とそのひとはつぶやく。
そのようなぜんれいはありませんとわたしはいってそしてしまったとおもう。
けれどわたしのおもったようなことはおこらなくて。
その人はわたしのあたまをそっと、やさしく、なでた。

「かなしいことがあるのに。くるしいことがあるのに。あなたはほんとうにやさしいこ」

わたしはくびをよこにふりたかった。
わたしはやさしいこではない。かなしいことも、くるしいこともない。
けれど、ただ。

いたい。

そのことばがだせなくて、わたしはうつむいたままなみだをながしつづけた。

+++
意味もない平仮名
礼拝堂ってなんですかおいしいの

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